140日後に化ける人間

 

はじめました。

アラサー独身女性(戸籍)の一人語り兼記録のための場です。

 

まわりを気にするあまり人との雑談が減ってきて、

"自分を出す"ということが不足している!

それがストレスな気がして、もはや体調悪い!過食が止まらない!

ただでさえ気分もやもやなのに、体調も体形まで崩れる(ように感じている)なんて!

ということで、ひとまず自分を取り戻すために文章で発散していくスタイルに。

 

普段”良い人でいなくちゃ”という大きいブロックがなかなか外れない私が、

なんでもないことをたらたらと書いていくことで、少しずつ化かしていく。

 

変化に気付くために、140日後を1つの区切りとして、わたしの観察記録を残す。

 

4月を振り替える

2024年に入ってから、体調も気分も優れています!という日は少ない気がしている

(こういう時に記録はあれば実際そんなこともなかったりするのかな;;)

 

昨年の終わりはとても幸福感に溢れていて、そことの差を無視できない日々。

そこに4月からの仕事での異動も重なり、楽しいようで疲れがみるみる蓄積しましたね。

*1

 

ありがたいことに歓迎会もあったり、パートナーとの新しい関係もあり、

意識の矢印が外に向きまくっていて、自分時間はもはやゾンビ。うつうつ。

 

自分に厳しい思考癖も満を持して登場。

  • わたし新しい環境についていけてないかも
  • 迷惑かけないためには人一倍気を遣って頑張らねば
  • 不要だと思われないように失敗しちゃいけない
  • こんな状況で助けてとか疲れたとか言っちゃいけない

はいはいはい。いつも何度でも自分にぶつけてきたよね、セルフモラハラ。泣く

せめて自分は自分に優しく出来るよう、ここ数年向き合ってきたよね!

 

ということで、セルフで痛めつけている!と1ヵ月で気付けたわたしに拍手!!

ほんでまずは、切り替えるためにもまずは自分を労わろうと決心した4月最終日。

 

やさしい手の日

やっとここから、5月1日の記録。

 

自分労わるデーのため、低気圧で頭かちわれそうな4月最終日にマッサージを予約!

(これだけでも良くやった!!喝采

一刻も早く助けを求めたくて、第三者の手を借りることにしました。

 

ネットでなんとなくピンときた、最寄りから一駅の個人サロンを朝一の時間で予約。

この”なんとなく”が本当に正解なんだなと思わせてくれた、素敵な方との出会いでした。

 

いつも用事は時間ぎりぎりで、集合時間に5分遅れる確率が50%のわたし。

(人との約束は可能な限り対策してます)

今日も間に合うはずが数分遅れそうで、早めに電話連絡。

 

その時の対応から、親戚の家に電話したんかなくらいの対応でほっこり。

「大丈夫よ~~気を付けていらしてね~!!電話ありがとう!」

 

サロンに着いた頃には、雨の中店の前で傘さして出迎えてくれたお母さん。(勝手に以後お母さん呼びです。)

 

カウンセリングも無しに、雨拭いてくれたりあれよあれよと準備して施術に。

その手がすごかったんよ。

気遣いだったり、会話での優しさも好きだったけど、黙って施術されている時が一番。

 

触れられた部分からじんわりきて、昔手をつないでくれたおばあちゃんの手みたいな安心感もあって涙がおさまらず。

アイマスクしてたので、助かった。

 

その後は安心感と気持ちよさで寝た。

起きてから、感動したこととか感謝を伝えたら「こちらこそありがとうだよ~」と相変わらずの様子。

 

また話している間に泣けてきて、初めましてのサロンで謎の泣き時間。

それでも何も訳もきかず「頑張ったんだね~いいよ~泣けるときに泣きな~」ってお母さんの言葉でより泣く。

 

帰りもポリ袋にお菓子とかお茶とか詰めて持たせてくれて、

お母さんみが溢れたあの魅力は壮大だった。

 

ハートフルとか、心が満ち足りるってこういうことかと久しぶりに感じられて嬉しい!

人の肌に触れるって本当に私にとって大切なのかも。という気付き。

 

愛おしさって伝わるよね。それを伝えられるお母さんに出会えたわたしも素敵かも。

と思えた5月初日でした。

 

おわりに

久しぶりに文章を書いてみて、改めてコンパクトにまとめられないわたしの性分を実感。笑

話していても長くなりがちで、まあでもそれが今のわたし。

 

手短にパパっとメモしようの日も、書いているうちに長くなっちゃう日も、

全部まとめてその時のわたしとして残していきたい。

 

書く気力が無い日も、その事実を残すことで、140日後にはわたしがわたしとして生きるために化けていきます。

 

おやすみ

*1:顕在→楽しい、みなさん優しい、頑張らねば、充実させねば、失敗したくない